初心忘るべからず。「能」は社交ダンスではないけれど。

初心忘るべからず:出典は世阿弥の『花鏡』

世阿弥(ぜあみ)は、日本の室町時代初期の猿楽師。

父の観阿弥とともに猿楽(現在の能)を大成し、

それは観世流として現代に受け継がれています。

世阿弥が晩年に書いた『花鏡』には

「初心忘るべからず」という言葉が書き残されていました。

※以下、緑と赤の文字のところはザ能ドットコムより抜粋です。

世阿弥が残した多くの著作は、演劇や芸術についての考えが述べられたものですが、

今でいえば「観世座」という劇団のオーナー兼プロデューサーでもあった世阿弥は、

劇団の存続のためにはどうしたらいいかを考え抜きました。

それは役者の修行方法から始まり、

いかにライバル劇団に勝ち、観客の興味をひくにはどうすべきかなど、

後継者に託す具体的なアドバイスを記したものが、彼の伝書です。

いわば、芸術のための芸術論というよりは、

生存競争の厳しい芸能社会を勝ち抜くための戦術書ともいえるものです。

世阿弥は、観客との関係、人気との関係、組織との関係など、

すべては「関係的」であり、変化してやまないものと考え、

その中でどのように己の芸を全うするか、ということを中心に説いています。

「能」を「ビジネス」、「観客」を「マーケット」、「人気」を「評価」として読めば、

彼のことばは、競争社会を生きるビジネスパーソンへの提言とも読めるのです。

世阿弥にとっての「初心」とは、

新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち、

試練を乗り越えていく考え方を意味しています。

つまり「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、

どうやってその試練を乗り越えていったのか、

という経験を忘れるなということなのです。

世阿弥は「第一に『ぜひ初心忘るべからず』、

第二に『時々の初心忘るべからず』、

第三に『老後の初心忘るべからず』」の、

3つの初心について語っています。

 

「ぜひ初心忘るべからず」

若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、

常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。

若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を

自然に身に付けることが出来ず、

先々上達することはとうてい無理というものだ。

だから、生涯、初心を忘れてはならない。

 

「時々の初心忘るべからず」

歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、

「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て

老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。

その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、

次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。

過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、

年月を経れば、全てに味がでるものだ。

 

「老後の初心忘るべからず」

老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが

老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、

対応しなければならない試練がある。

歳をとったからといって「もういい」ということではなく、

其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。

これを「老後の初心」という。

 

今の社会でも、さまざまな人生のステージ(段階)で、

未体験のことへ踏み込んでいくことが求められます。

世阿弥によれば「老いる」こと自体もまた、未経験なことなのです。

そして、そういう時こそが「初心」に立つ時です。

それは、不安と恐れではなく、人生へのチャレンジなのです。

~ ザ能ドットコムより~

 

ふと、ひとつの言葉から出会った能の世界・・・

1日の終わりに、一気に読んでしまいました。

世阿弥は、絶世の美少年で12歳から父と舞台に立ち、

将軍足利義満の寵愛も受けたそうですが、これを嫉まれ、

「乞食のやる猿楽師の子供を可愛がる将軍の気が知れない」

と、当時の内大臣の日記まで残っているそうです。

そんな背景にある言葉・・・時を越え、沁みました。